「稼ぐ」をさらし、恥をかいてみる

「稼ぐ」ことを公言するなんて、それだけで恥ずかしい…からの脱却!

なに言ってるか、わからない

最近、なに言ってるかわからない人が、自分の前に現れて来ている。

 

話を聞いても聞いても、何が言いたいか全然わかんないの。何でかな?と思っていたら、その人の『気持ち』と『言っていること』が違うときに、そう感じてるみたい。

 

たぶん、昔からその感性はあったんだと思うんだけど、最近顕著にそれがあって、驚くほど、何言ってるかわからない。そして、すごく混乱しちゃう。

 

これ、やばいな。勘のいい子どもなら、そんな場所にいられない。っていうか、私自身がそこにいられないし、その人と話せない。今まで、どんな人とも会話できることが私の取り柄だったけど、もう、使えないわ。

 

ま、いいけど。

 

自分の気持ちに素直になってきたのだと思う。おもしろい。

 

これはイヤ、これは好き。明確になればなるほど、お金を稼げる。そんなことを思った春。起業してても、組織の中でも、家庭の中でも、全部一緒。お金を稼ぐことも、人脈が広がることも、家庭がうまく回っていくことも、全部一緒。

 

全部、私のもの。

f:id:shino-bu147:20170324124642j:plain

 

 

 

“悪だくみ”仲間、募集

私の事業計画は以下の3つ

 

《あるくこと》

歩くことは本能的だ。歩くことでしか感じられないことががある。

《はなすこと》

話すことは離すこと。離すことは放すこと。そうすることで思考や想いを外に出していく。1人1人の想いをときに重ね合い、ときに絡めていきながら。

《あいされること》

誰かを愛したい、誰かを憎みたい、誰かを助けたい、誰かを包みたい…誰かに愛されたい。循環の原点。

 

先を見据えているわけじゃない。今の現在、起きていること。

 

“だれの予測もできなかった事態”

 

だ、か、ら、

 

あー、もっと、悪だくみしたいな。私、ずっと男の子に憧れてて、イタズラして先生に怒られて反省したふりして、くるっと反対向いたらもう笑ってる、みたいな子が大好きだった。

 

もっとギャハギャハ笑いながら、しょーもないこと、やりたいな。

 

あ!大人のピクニック、ちょっとアレンジしちゃお!

泥団子つくったり、絶対着ない服選びしたり、んー、なにしよ?

ね、ね、ね。

 

一緒に、あーそーぼ!

 

なにしたい?なにする?なんでもできるよ。

私となら。あなたとなら。

f:id:shino-bu147:20170324093657j:plain

 

お金に執着してみる

「稼ぐ」宣言してから、数日しか経たないけど、精神的な変化。

 

“お金があってもなくても、毎日の過ごす気持ちに影響は、そんなにない”

 

って、こと。これ、なに?なんの効果?なんの呪文なの?

執着するって、ダサいと思っていた。それがお金を遠ざけるって思い込んでいた。だから、執着しないように、《いい距離》をとるためにがんばっていた。実際には全然できてなくって、 かわいそうなコト、しちゃったな。

 

嫌いになったり、期待しすぎたり、愛しすぎてムシしたり、監視してたり…

 

信用してなかったね。え?何の話?子育ての話?

 

・・・・・

 

一緒かも。できた人間じゃないんだから、ちゃんと執着したらいいんだ。

 

そっか。そーなんだ!

 

身体の力を抜くとき、そのまま息を吐いて力を抜くより、緊張させるように力を入れてから脱力した方が、ずっと力を抜ける…みたいな感じ。

 

なんか、通り抜けた人の結果だけ聞くと、

「お金のことは忘れる」

みたいなこと言うじゃん。忘れようとすればするほど、頭に残るっつーの。

 

今のところ、全然気にならなくなった!ってほどではないけど、年度末の支払いが全然追いついてないにも関わらず、穏やかに過ごしている。まー、何とかなるでしょ、って。

 

むしろ、朝、目覚めたときに、障子に映るの木漏れ日の陰影を眺めながら、

『豊かだな〜。』

とすら思ったから。そう、豊かな毎日なの。毎日いる息子が、おいしそうにご飯を食べる、夫が帰ってくる、娘が泣く、blogを綴る…。

 

欲しいものは、全部あった。私の手の中に。

f:id:shino-bu147:20170322230111j:plain

 

 

“お金がない”恐怖は、“死”への恐怖

「稼ぐ」と宣言してから、お金と向き合っている。

 

お金がないと困る?

お金がなくなる、が恐い?

なぜ?

お金がなくなる→ご飯が食べられなくなる→死ぬ

お金がなくなる→好きな物が買えなくなる→生きる喜びがなくなる→死ぬ

お金がなくなる→恥ずかしい→人に会いたくない→孤独→死ぬ

 

お金がなくなることの恐怖は、「死」への恐怖。

もしかしたら、私の向き合うべき相手は「死」なのか…。

 

「死」の恐怖…

 

なくなる?

いや、むりだ。

 

悟りを開くか…

そーしよ。

 

いや、違う。

 

10代の頃、「メメントモリ〜死を想う〜」という写真&詩集を読んだ。ガンジス川のほとりで遺体が焼かれている。匂いまで伝わってきそうな衝撃の写真だった。“死を想う”ってどういうことだろう。ときどき、思いかえす。

 

3人目の出産の時に感じたあの、バチっとした感じ、忘れない。

うまれる=しぬ

しぬ=うまれる

対極にあるようなコトが実はイコールだった、と感じた。

 

だから、そう。

「生」「死」はセットなんだ。

ってことは、「死」の恐怖から逃れるのではなく、「死」の恐怖を抱えて生きて行く、それぐらいでいいんじゃないか。

 

そうじゃないと「生」の実感が持てない。あー、「死」の恐怖はあっていい。いや、あるコトでむしろ、“命”が輝く。

 

そう。

 

この世もあの世、あの世もこの世…。天国も地獄も、平安も混乱も、希望も絶望も全て、ここにある。

f:id:shino-bu147:20170322114239j:plain

3000円の呪縛

4月中、私の開催するイベントは全て、

 

参加費3000円…

 

これにはワケがあって。私が子どもの頃、誕生日、クリスマスのプレゼントは3000円までのものと決まっていた。小学生の私はウキウキでぬいぐるみを選んでいたりした。中学生で物足りなく感じるようになってもなお、このルールは適応され続けていた。同級生の友人に「うちのプレゼントは1万円か、ほしいもの。」って言われて「え!そんなん1万円もらった方がいいじゃん!」って言ったら「1万円以上するもの(例えばウォークマンとか)がよかったら、そっちを選ぶんだよ。」って言われてカルチャーショックだったのを覚えている。

 

どこかで私は3000円に縛られて、大人になった今でも、手土産の基準は3000円だったりする。自分の講座に値段をつけるのも、3000円が一番心地よい。

 

ビンボーくさいな…

 

って感じてる私。いや、そうかな?

 

3000円。

 

悪くない、うん。むしろ、いい。

 

3000円。

 

今はその金額に抵抗なく愛情を感じる。気兼ねなく受け取れて、気兼ねなく受け流せる。それでいい。

 

3000円。

 

もう少し、満足するまで、そばに置いておきたいと思うんだ。

3000円。

 

財布の中から3000円出して、撮りたかった…のに。

f:id:shino-bu147:20170322003201j:plain

 

300円を払う勇気

今日は、ホントしょーもないっす。まじで。

 

私は車を運転しないので、自転車が大事なアシなの。この自転車さんは、働き者で12歳の長男が一歳になる手前から乗り続けている。3人の子どもをいろんなパターンで乗せて保育園や職場まで、たくさん私を運んでくれた。

 

でさ。家から最寄りの駅まで自転車で行くと、二ヶ所の駐輪場があるのね。そもそも駅の駐輪場ではなくどちらもスーパーのお客様用。どちらも無料だったから、買い物客ではなくとも利用する人もいて、いつもどちらも自転車はいっぱいだった。自転車って、パンパンなところに突っ込むと、もう最悪なこじれ方するじゃん。あれがいやで、いやで。

 

あー、もう、有料でいいから、私の大事な自転車を預かってほしい…

 

と思ってたら、一ヶ所の駐輪場が買い物客問わず、有料(2時間以上300円)になったの。おー!やった〜!って喜んだのもつかの間、『え、もう一ヶ所は無料でしょ。そっちに停めてそっちのスーパーで買い物すればいいじゃん。』っていう気持ちになったんだよ。で、もう一ヶ所の方を見ると案の定、一層溢れかえる駐輪場。

 

ふ〜。あれ?私、前、なんて思ってた?

 

りぴーと  あふたみー

有料でいいから、私の大事な自転車を預かってほしい…

有料でいいから…有料で…

 

というわけで、有料駐輪場ができてから、いつも無料駐輪場にしようかどうか迷って、いや、ここは

 

あえての有料!!!

 

こっちを選び続けます。

 

あー!しょうもないって、思ったでしょ。思ったでしょ。思ったでしょ。

いや、私が一番、思ってるからな!!!

 

でも、自分をすぐ格好良く見せたがる私の『しょうもない』、をさらす。

🔻自転車、(300円で)マモルくん…という名前では決してない。

f:id:shino-bu147:20170321235003j:plain

 

いつだって願いを叶えてきた

最近、『歩く』が気持ちいい。

 

足を棒にして、5時間も6時間も歩く。くったくたになった帰りは電車やバスに乗れば1時間で元の場所に帰れる。そこで、驚くよ。

 

文明って、すげ〜!!!

 

そう!病気の親が心配で、愛する人に会いたくて、見たこともない世界に出逢いたくて、そうして交通は整備されてきた。みんなが大きな期待を寄せたとき、それは大きな力になって、実現していったんだ。初めはたった1人の夢だったのかもしれない。

 

車も電車もない時代に想いを馳せていた。

 

“私の人生は誰かの祈り、そのもの”

 

そんな気持ちが湧いてくる。お金は今の時代のエネルギー。自分の中にどうやって循環させていくのか、実験していく。お金の循環、思考の循環、血液の循環はきっと繋がっている。私の身体は私のものだけど、ここまで繋がってきた誰かの『祈り』が刻み込まれている気がしてならない。

 

誰かが叶えられなかったことも、誰かが叶えてきたことも、全部私のものにして

【今を生きる】

誰かを、何かを、“安全なところ”で批評することは、もうやめた。わかったような口調でアドバイスすることもやめる←難しい(゚∀゚)

 

とりあえず、言葉が溢れて止まらない春分の日…。

f:id:shino-bu147:20170320163849j:plain