“お金がない”恐怖は、“死”への恐怖
「稼ぐ」と宣言してから、お金と向き合っている。
お金がないと困る?
お金がなくなる、が恐い?
なぜ?
お金がなくなる→ご飯が食べられなくなる→死ぬ
お金がなくなる→好きな物が買えなくなる→生きる喜びがなくなる→死ぬ
お金がなくなる→恥ずかしい→人に会いたくない→孤独→死ぬ
お金がなくなることの恐怖は、「死」への恐怖。
もしかしたら、私の向き合うべき相手は「死」なのか…。
「死」の恐怖…
なくなる?
いや、むりだ。
悟りを開くか…
そーしよ。
いや、違う。
10代の頃、「メメントモリ〜死を想う〜」という写真&詩集を読んだ。ガンジス川のほとりで遺体が焼かれている。匂いまで伝わってきそうな衝撃の写真だった。“死を想う”ってどういうことだろう。ときどき、思いかえす。
3人目の出産の時に感じたあの、バチっとした感じ、忘れない。
うまれる=しぬ
しぬ=うまれる
対極にあるようなコトが実はイコールだった、と感じた。
だから、そう。
「生」「死」はセットなんだ。
ってことは、「死」の恐怖から逃れるのではなく、「死」の恐怖を抱えて生きて行く、それぐらいでいいんじゃないか。
そうじゃないと「生」の実感が持てない。あー、「死」の恐怖はあっていい。いや、あるコトでむしろ、“命”が輝く。
そう。
この世もあの世、あの世もこの世…。天国も地獄も、平安も混乱も、希望も絶望も全て、ここにある。