「稼ぐ」をさらし、恥をかいてみる

「稼ぐ」ことを公言するなんて、それだけで恥ずかしい…からの脱却!

子育て中の不満は、大事!

小さな子どもを育てているときに、

 

あー!もっと〇〇したいな〜!

 

って思うこと、あるよね。3時間おきに起きていたときは、単純に『もっと寝た〜い!』だった。けど、ちょっと子どもが成長して歩き出したとき、違う不満が出てきたんだ。

 

あー!自分のペースでいっぱい、歩きたい!

 

って。そう、小さな子を気にかけてゆっくり歩くことが小さくストレスだった。あと、仕事したらしたで、時間に追われて移動はいつも自転車で猛ダッシュ。だから、最近の私の贅沢は、

 

“たくさん、歩くこと”

 

これって、時間に余裕がないとできない。ほんとに好き。

 

育児中に、これができないことがストレスだったってことを最近、思い出したの。たまに「何が好きかわからない」「趣味がない」っていうママがいるけど、

 

【一番不満に思っていることこそが、あなたの大切にしたいこと】

 

だと思うんだ。どうかな?

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アホが足りない

あー、足りないな。

 

アホが。

 

いつの間にか「いいこと」をしようとして、天使化している自分がイヤになって。“悪だくみ”がしたくなってきた。

 

社会をいい方向へ

自分を成長させるために

子どもの健やかな未来のために

 

あー!!!

全然、おもしろくない!!!

どーしよ?も一回、生き直す?

 

あの、空き地に傘をいっぱい持ってきて、秘密基地作って、こっそりエッチな本をみんなでドキドキして覗き込んでいたあの時の気持ち、

 

戻ってこ〜い!!!

 

悪だくみピクニック、4/2(日)にやります。

名前。変わってる?いや、そんなことも、どっちでもいい。

4/2(日)藤が丘駅ミスド前に10:00集合

参加費:3000円(+各自飲食代)

どこかでお昼を買いながら、悪だくみをしゃべりながら、私の好きな里山に行きまーす。もっと、遊んでいいんだよ。妄想力、カモーン!

 

お待ちしております。

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お金をもらう=愛情、なのか!?

ここ2、3日、落ち込んでいた。

ハラハラと涙が溢れる。残高の減っていくばかりの預金に心が恐怖に支配される。

 

お金と向き合う。そう決めてから、随分、気持ちが乱高下した。一個一個持っている概念を確かめるように、自分の中で、いろんなことを棚卸ししている。

 

「うちの困ったことは、貧乏だってこと“だけ”だなぁ。」

 

と父が言っていた言葉を思い出す。そう、子どもの私がそれを聞いてキャッチしたのは、『貧乏であることが、他の不幸を寄せ付けない秘訣』みたいに思ったんだ。だから、大人になった今でも、“少しお金が足りない”っていう状況の中で生活していたような気がする。

 

あと、親に心配をかけておきたい、っていう気持ちも湧いてきた。

 

そういうことが、一個一個、自分の中で思い出されて、何かどうしようもない感情になる。で、お風呂とかでハラハラ泣いて、そうして、翌日、思った。

 

起業しようが、組織で仕事しようが、正職員だろうが、パートだろうが、稼ごうがそうでなかろうが、なんでもいいんだ!

 

なんでもいい?

なんでも?

えー!!!

 

そっか、なんでもいいのか。

 

わー、びっくり。

 

お金をもらう=愛情、みたいに思ってた。だから、稼げない=愛されてない、じゃないか、って、恐くなってたんだ。あー、そっか。そうなんだ。

 

そして、私はいつだって愛されたいんだ!

 

そして、私はいつだって愛されている。

 

いつも、周りの人から、家族から、愛をいっぱいもらって生きている。みなさん、ありがとう。このあたり、まだまだ、隠されている概念があるかもしれないけど、だいぶ、スッキリしてきた。

 

4/1から、稼ぐ!のチャレンジはして行きたいと思います。だって、これは人生ゲームだから。5月からはどうするか?考えていませーん。ぼちぼち考えるよ。

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夢を叶えるのは、自分じゃなくてもいい

私は、とてもスネていたんだ。誰かの不幸を願うくらい。

 

それじゃ、いけない!と思って、“正しい自分”になるように、学びを重ねてきたような気がする。結局“正しい自分”なんて、どこにもいなくって。誰かみたいになりたくても、なれなくて。自分の中に自分を探ってみても、何が自分かわからなくて…。

 

で、イロイロ行動してみて、思った。

 

行動できないときほど、スネるな、私。

 

やっと行動して、スネる自分も少し収まった。さらにこんな発見もした。自分1人の力は少しだけど、集まってくる人と意識を合わさると、とても大きなことを成し遂げるってこと。ずっと、自分でしたいことがあったけど、それはきっと、1人でやれないことなんだ。1人でやっちゃいけないことなんだ。なんなら、私が叶えたいことは、誰かの“叶えたい”ことかもしれない。

 

だから、やってみたいな〜、って思ったことは軽く投げてみる。私がそれをしてもしなくてもいい。いつか、実行するかもしれないし、永遠に実行しないかもしれない。でも、無責任に投げてみる。そうやって投げた妄想が、現実化するかもしれない。投げてみないことには、何も始まらないから。

 

うまくいかなくても、いい。

 

いつも、そう思えてなんかいない。できれば、うまくいくようにしたい。動きながら考える。そうじゃないと、わかんないんだもん。

 

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なにを言っているか、わからない2

shino-bu147.hatenablog.com

ちょっと前にこんなことを書いた。

 

これは、「本音を話していない人は、見破れるよ。」っていうわけじゃなかった。そう意味で書いたんだけど、やっぱり自分に違和感。そんな能力ではなくて。

 

“自分”が何を言いたいか、混乱していた。本音を生きたい!と思えば思うほど、タテマエで言葉を紡いでいるような気がしてたんだ。それが、外の世界に表れた。そんな感じ。

 

そもそも自分が何を考えているのかわかんない。今は感じていることを大切に。でも、思考は好きだから、辞めない。考えることは、私のライフワーク。

 

そう。だから、考えることは、私にとって呼吸のように自然なこと。

 

本音で生きる

 

かっこいいから、そう言い切りたいけど、ま、どっちでもいいや。自分の心の状態が、世界をつくる。不安も不満も嫉妬も恐怖もまる抱えで、感謝する。

 

豊かに生きるということは、いろんな感情を味わうこと。

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歩くことは、生きること

桜がいつ咲くかと、ツボミを眺めている。

 

春の風が吹く。新しい一歩。動き出したくなる。

でも、怖いね。一歩目は。

怖い、怖い、そのままで、一歩踏み出す。

 

足が棒になるほど歩くと、胃が荒れる。なんでだろ。身体が食べることを拒否するように舌が痛くなった。2回目はそうでもなかった、けど。

 

長距離、歩き続けることは、気持ちよい…よくなんかなくって、最後の1時間は本当に苦行のようだった。真横を通り過ぎる車から「どこまで行くの?乗っていかない?」と聞かれたら、即オッケーを出す心構えで足を引きずって歩いていたけど、誰も声をかけてはくれなかった。『あの、私、長久手から歩いてるんです。助けて〜。若干、道に迷ってます。』と思っているだけでは、残念ながら伝わらず。

 

初めて5時間歩いた翌日、鳥のさえずりで目が覚めた。こんな日は記憶にない。身体は筋肉痛だったけど、感性が研ぎ澄まされたような気がして。

 

普段、運動もしていない人がちょっとがんばって歩ける時間は3、4時間とみた。

 

パトロン100人、募集企画①】

始まるよ!第1回、大人のピクニック

4/2(日)10:00藤が丘駅(ミスド前)集合

14:00くらいまで、自由解散

雨天中止

「春の中を、あるく」(お風呂には行きません)

最初なので、3時間くらいをメドに歩こうと思います。途中、ご飯を買って(お弁当持参もオッケー)お外ごはんしましょう。

参加費:3000円+各自飲食代

 

私の最初の一歩。一緒に踏み出してくれると嬉しいな。

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22歳のわたしへ

大学生の悩みを聞きながら、「そんなん妄想よ。」なんて言ってみた帰り道。

 

20代の苦い思い出が蘇る。何1つ、願いなんて叶わなかった。大好きな人と恋愛成就することだって、なかった。みんなの才能が羨ましかった。自分だけ、他人に言えない悩みを抱えていると感じていた。

 

だから。もう一度、あの頃の自分に言ってあげたい言葉を探した…けど見つからなくて。だって、今はどう考えたって、苦しいんだもん。仕方ない。本を読んだり、音楽を聞いたりして、どこかに答えがあるんじゃないかって、オロオロ迷うんだ。

 

結婚に希望を持てなくて、仕事も楽しくなくって、お金も時間もなくて。何より、自分が何の役にも立ててない存在なのが、イヤだった。ボランティア講座に行ってみたり、医療系仕事を考えて『誰かの役に立っている感』が欲しかった。

 

だから。やっとのことで見つけた言葉は、「私もそうだったよ。」って。何にも気の利いていない言葉。

 

あれから20年が経ち、今の私は結婚して子どもに恵まれ生きている。それは思い描いていた『家庭像』とは全然違っている。この環境を幸せだとか、不幸だとか言うことは不可能だ。だって、幸せかどうかはいつも“自分”で決めるのだから。

 

だから。大丈夫だ。20年前より“いま”の私は幸せだから。自分で決められると知った私は、幸も不幸も選んで感じていることを知っている。幸せだけでも不幸だけでも、つまらないから、バランスよくどちらも感じられるように生きている。いや、見栄はったな。バランスよく…はないかも。運命に逆らわず、豊かに味わいながら生きている…ぐらいにしておこう。42歳になった今だって、悲しまない方法は見つかっていないし、困ったことを事前に回避することもできていない。なのに…だから…人生は美しいのかもしれない。

 

あなたに会えて、よかった。20年前の私にまた会えたから。そして、20年後のあなたが、幸せそうにしている姿が見えたよ。

 

だから、大丈夫。

生きて。どんなときも生きて。

 

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