「稼ぐ」をさらし、恥をかいてみる

「稼ぐ」ことを公言するなんて、それだけで恥ずかしい…からの脱却!

22歳のわたしへ

大学生の悩みを聞きながら、「そんなん妄想よ。」なんて言ってみた帰り道。

 

20代の苦い思い出が蘇る。何1つ、願いなんて叶わなかった。大好きな人と恋愛成就することだって、なかった。みんなの才能が羨ましかった。自分だけ、他人に言えない悩みを抱えていると感じていた。

 

だから。もう一度、あの頃の自分に言ってあげたい言葉を探した…けど見つからなくて。だって、今はどう考えたって、苦しいんだもん。仕方ない。本を読んだり、音楽を聞いたりして、どこかに答えがあるんじゃないかって、オロオロ迷うんだ。

 

結婚に希望を持てなくて、仕事も楽しくなくって、お金も時間もなくて。何より、自分が何の役にも立ててない存在なのが、イヤだった。ボランティア講座に行ってみたり、医療系仕事を考えて『誰かの役に立っている感』が欲しかった。

 

だから。やっとのことで見つけた言葉は、「私もそうだったよ。」って。何にも気の利いていない言葉。

 

あれから20年が経ち、今の私は結婚して子どもに恵まれ生きている。それは思い描いていた『家庭像』とは全然違っている。この環境を幸せだとか、不幸だとか言うことは不可能だ。だって、幸せかどうかはいつも“自分”で決めるのだから。

 

だから。大丈夫だ。20年前より“いま”の私は幸せだから。自分で決められると知った私は、幸も不幸も選んで感じていることを知っている。幸せだけでも不幸だけでも、つまらないから、バランスよくどちらも感じられるように生きている。いや、見栄はったな。バランスよく…はないかも。運命に逆らわず、豊かに味わいながら生きている…ぐらいにしておこう。42歳になった今だって、悲しまない方法は見つかっていないし、困ったことを事前に回避することもできていない。なのに…だから…人生は美しいのかもしれない。

 

あなたに会えて、よかった。20年前の私にまた会えたから。そして、20年後のあなたが、幸せそうにしている姿が見えたよ。

 

だから、大丈夫。

生きて。どんなときも生きて。

 

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